デザインには理由がいる

職業としてデザインに携わるとデザインネタが尽きてくることがあると思います。そんな時は参考になるデザインを探したり、気分転換をしたり、街に溢れるデザイン要素を吸収したり、様々な方法でアイデアをひねり出していることだと思います。僕は枯渇したアイデアを潤すために、思考を切り替えるようにしています。具体的には「あしらい」や「パーツ」一つ一つの理由を明確化し、不足している情報を洗い出し、デザインに落とし込みます。法則性を付与するのも忘れてはいけません。

見えるデザイン

デザイン時、大まかなコンセプトの設定はあると思います。ですが「あしらい」や「パーツ」一つ一つに理由はありますか?理由がわかっていれば、デザインはある程度まで見えてくるはずです。僕がWebデザインの初心者だった頃、社のディレクター達と偶然生まれるデザインと必然で生まれるデザインのどっちがいい?的な話しで盛りあがり、そのことについて深く語り合ったことがありました。ここで言う偶然のデザインとは意図せずにいいデザインになったデザインのことを指します。当時の僕は偶然のデザインを「あり」だとしていました。偶然のデザインを生み出すには、とにかく手数だと、ただ闇雲にデザインをすることもありました。しかし偶然のデザインを使いこなすにはまだまだ力不足だった僕は、そのデザインに引っ張られ逆にバランスがとれなくなり、構成の組み立てに苦労したのを覚えています。ですが偶然のデザインが「あり」なのか「なし」なのかのは僕のデザインの中では重要なことではありませんでした。

必然のデザイン

理由のあるデザインには必然しか生まれません。理由=理屈だと考えると面白みの無いデザインに感じてしまうかもしれませんが、理由を突き詰めたデザインは独特な面白みがあります。Webデザインはマークアップ、コーディングフェイズを挟みますので特にそうだと思います。Webデザインの特徴は導線、訴求性、操作性、アクセシビリティ、視認性等、色々な要素が絡み合います。その色々な要素に法則性をもたせ命を吹き込む。 何ともたまらない瞬間です。だからと言ってネタに全く困らないわけではありませんが、少なくともデザインに理由を持たせることにより、とんでもなチグハグなデザインになることは避けれます。それはクオリティの底上げを指しています。インスピレーションも大事なので、絶対のやり方はありませんが、必然というのはそこに求められているということです。言い換えれば自然に馴染んでいる。自然に馴染んでいるからこそデザインとしての役割を果たしているのではないでしょうか?ニュアンス的な言葉を含みすぎて何処まで伝わるかわかりませんが、そんな感じです。